生命理工学系 News

【研究室紹介】 廣田研究室

嗅神経系の研究とゲノム工学技術の開発

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2018.08.29

生命理工学系にはライフサイエンスとテクノロジーに関連した様々な研究室があり、基礎科学と工学分野の研究のみならず、医学や薬学、農学等、幅広い分野で最先端の研究が活発に展開されています。

研究室紹介シリーズでは、ひとつの研究室にスポットを当てて研究テーマや研究成果を紹介。今回は、嗅神経系の成り立ちと機能の理解を目指し、遺伝子レベルから個体レベルでの研究を行っている、廣田研究室です。

教授  廣田順二

生命理工学コース
教授 廣田順二別窓

キーワード 嗅神経細胞、嗅覚受容体、バイオイメージング、ゲノム編集、合成ゲノム
Webサイト 廣田研究室別窓

研究紹介

私たちの研究室では、嗅神経系をモデルとして、神経細胞が幹細胞からどのような仕組みで作りされるのか?神経細胞の多様な個性創出の分子メカニズムはどのようになっているのか?そして「匂い」情報はどのように神経回路で処理され動物に特徴的な行動を誘導するのか?など、嗅神経系の成り立ちと機能の理解を目指し、遺伝子レベルから個体レベルでの研究をおこなっています。またマウスゲノムを操作するためのゲノム工学技術の開発研究にも取り組んでいます。

化学感覚研究(嗅覚)

動物は環境中の化学物質を感知し、必要な適応行動をとります。例えば、食物探索や天敵などの危険からの回避は、匂い物質を受容することにより表れます。こうした化学情報の受容を担うのが嗅神経系(嗅覚)です。膨大な数の匂い分子を感知する嗅覚受容体は、ゲノム上で最大の遺伝子ファミリーを形成し、膨大な数の匂い情報の識別を可能にしています。その数はマウスで約1,100個(マウス全遺伝子の約5%で、ヒトでは約400個※ヒト全遺伝子の約2%)にも及びます。

嗅覚受容体には、「クラスI(水棲型)」と「クラスII(陸棲型)」の2つのタイプが存在します。クラスIは最初に魚類で発見されたことから、哺乳動物のそれは進化の名残ではないかと考えられてきました。しかし、その後のゲノム解析の進展によって、魚類から哺乳類までの脊椎動物に広く共通して存在するタイプであることがわかり、何らかの重要な生理機能をもっていることが示唆されています。一方、クラスIIは陸生動物特異的に進化してきたタイプです。

1.嗅神経細胞の個性決定の分子機構に関する研究

興味深いことに、個々の嗅神経細胞は膨大な受容体遺伝子レパートリーの中から1種類の遺伝子のみを選択的に発現します。つまり、嗅神経細胞は発現する受容体によって規定される多種多様な個性をもった細胞集団として産生されることになり、これが膨大な匂い物質の認識を可能にする嗅神経系の分子、細胞基盤となっています。私たちの研究室では、転写因子やエピジェネティックな制御に着目して、この特徴的な嗅覚受容体遺伝子の発現機構の解明に取り組んでいます。

図1 マウス嗅上皮の構造

  ナスカの地上絵のようなひだ状構造は、効率よく空気中に匂い分子を感知するために自然が作り出した造形美である。この嗅上皮では、1000種類以上の異なる個性をもった嗅神経細胞がつくり出されている。

2.嗅神経細胞の二者択一的運命決定の分子機構の解明

前述の通り、嗅覚受容体ファミリーは、クラスI(水棲型)とクラスII(陸棲型)に大きく分類されます。嗅神経細胞は、その分化過程において、まずクラスIかクラスIIかの二者択一的運命選択をおこない、その選択にしたがって受容体遺伝子の選択的発現をおこなうことがわかっています。しかしながら、嗅神経系の解剖的・機能的構造を創出の基盤となるこの運命選択の分子機構は受容体の発見から四半世紀たった今も未解明のままです。最近、私たちは嗅神経細胞の運命決定を制御する転写因子の同定に成功し、現在その分子機構の解明を進めているところです。

また、遺伝子操作によってこの転写因子の機能をON/OFFすることで、マウス鼻腔内の神経細胞のほとんどをクラスI(水棲型)に、またはクラスII(陸棲型)にすることに成功しました。この運命選択の破綻がマウスの嗅覚行動にどのように影響するのか、その神経連絡の異常と行動異常の関係についても研究を進めています。

図2 クラスI嗅神経細胞特異的な遺伝子発現の可視化

  最近、クラスI嗅覚受容体多重遺伝子の転写調節領域(エンハンサー)を世界で初めて同定した。J-elementと名付けたこのエンハンサーによるクラスI嗅神経細胞特異的に遺伝子発現を蛍光タンパク質Venusで可視化した (Iwata et al., Nature Communications)。

3.新たな機能性匂い分子の探索

哺乳動物にとって嗅覚は動物の生死に関わる重要な感覚です。例えば、視覚優位になったヒトなどの霊長類をのぞいて、嗅覚異常(嗅盲)は新生仔致死となります。これは新生仔が嗅覚を頼りにお母さんの匂いを嗅ぐことで、乳首を探し出し、吸引行動をとるからです。この最初期のミルクの吸引行動には胎仔期に暴露されていた羊水や初乳に含まれる匂いによって誘導されている考えられています。私たちは、哺乳動物にとっての水棲環境であった胎児期に暴露される羊水からの機能性匂い物質の単離、同定を目指す研究をおこなっています。

化学感覚研究(味覚)

ヒトや多くの動物は口腔内の味細胞によって味物質を感知しています。近年、味細胞と形態が類似し、味覚に関連する遺伝子を発現する細胞が、気道や消化器官をはじめ体中の様々な器官で見つかってきました。これらの細胞は、共通してTrpm5と呼ばれるイオンチャネルを有し、そのほとんどが味覚受容体を発現していることから、Trpm5陽性化学感覚細胞(以下、化学感覚細胞)と呼ばれています。一般に、苦味を呈する化学物質は毒物であることが多く、ヒトは苦味を舌で感じたときに、それを吐き出し、自分の身を守ることができます。興味深いことに、全身に分布する化学感覚細胞の多くは "苦味"の受容体を発現していることから、生体防御反応への関与の可能性が考えられています。私たちは、米国のモネル化学感覚研究所との共同研究で、全身の様々な機関に分布する化学感覚細胞の産生に必須な転写因子の同定に最近成功しました。この転写因子のノックアウトマウスでは、全身の化学感覚細胞が消失することから、このマウスをモデル動物として、各器官における化学感覚細胞の生理機能の解明が期待されています。またこれら化学感覚細胞に発現する味受容体を同定することによって、細菌・寄生虫感染に対する生体防御メカニズムの解明、そして感染症や喘息などの疾病の治療に向けた創薬研究への発展が見込まれます。

図3 舌だけではない!体を守る味細胞(化学感覚細胞)の機能解明へ

  Skn-1a機能欠損型マウスでは、全身の化学感覚細胞が消失する。Skn-1a機能欠損型マウスは、これら化学感覚細胞の生理機能解明のためのモデル動物になると考えられる。

合成ゲノム・ゲノム工学研究

私たちの研究室では、化学感覚研究のほかにゲノム工学技術の応用開発研究もおこなっています。特に、ゲノム解読の進展に伴い、非コードDNA領域を含むより長大なゲノムDNA領域の機能解析が重要性を増しており、そのための巨大DNA操作技術を含む新たなゲノム工学技術の開発が必要となってきており、慶應大学の板谷先生らが開発した枯草菌ゲノム(BGM)ベクターをマウスゲノムに適用し、長大なゲノムDNAを安定に操作するための技術開発とその応用研究をおこなっています。

図4 BGM合成ゲノムベクターの応用

研究成果

  • <化学感覚研究(嗅覚・味覚)>
  • [1] Skn-1a/Pou2f3 functions as a master regulator to generate Trpm5-expressing chemosensory cells in mice. Junpei Yamashita, Makoto Ohmoto, Tatsuya Yamaguchi, Ichiro Matsumoto and Junji Hirota*, PLOS ONE (2017) 12 (12): e0189340, DOI: 10.1371/journal.pone.0189340
  • [2] A Long-Range cis-Regulatory Element for Class I Odorant Receptor Genes. Tetsuo Iwata, Yoshihito Niimura, Chizuru Kobayashi, Daichi Shirakawa, Hikoyu Suzuki, Takayuki Enomoto, Kazushige Touhara, Yoshihiro Yoshihara and Junji Hirota*, Nature Communications (2017) 8 (1): 885, DOI: 10.1038/s41467-017-00870-4
  • [3] Genetic Lineage Tracing in Taste Tissues Using Sox2-CreERT2 Strain. Makoto Ohmoto, Wenwen Ren, Yugo Nishiguchi, Junji Hirota, Peihua Jiang and Ichiro Matsumoto*, Chemical Senses (2017) 42 (7), 547-552
  • [4] Bcl11b/Ctip2 is required for development of lingual papillae in mice. Yugo Nishiguchi, Makoto Ohmoto, Jun Koki, Takayuki Enomoto, Ryo Kominami, Ichiro Matsumoto and Junji Hirota*, Developmental Biology (2016) 416 (1), 98-110
  • [5] Skn-1a/Pou2f3 is required for the generation of Trpm5-expressing microvillous cells in the mouse main olfactory epithelium. Tatsuya Yamaguchi, Junpei Yamashita, Makoto Ohmoto, Imad Aoud?, Tatsuya Ogura, Wangmei Luo, Alexander A Bachmanov, Weihong Lin, Ichiro Matsumoto and Junji Hirota*, BMC Neuroscience (2014), 15:13, DOI: 10.1186/1471-2202-15-13 (Recommended by Faculty of 1000)
  • [6] Bcl11b/Ctip2 controls the differentiation of vomeronasal sensory neurons in mice. Takayuki Enomoto, Makoto Ohmoto, Tetsuo Iwata, Ayako Uno, Masato Saitou, Tatsuya Yamaguchi, Ryo Kominami, Ichiro Matsumoto and Junji Hirota*, Journal of Neuroscience (2011), 31(28), 10159-10173
  • [7] Differential impact of Lhx2 deficiency on expression of class I and class II odorant receptor genes in mouse. Junji Hirota, Masayo Omura and Peter Mombaerts*, Molecular and Cellular Neuroscience (2007), 34, 679-688
  • [8] The promoter of the mouse odorant receptor gene M71. Andrea Rothman, Paul Feinstein, Junji Hirota and Peter Mombaerts*, Molecular and Cellular Neuroscience (2005), 28, 535-548
  • [9] The LIM-homeodomain protein Lhx2 is required for complete development of mouse olfactory sensory neurons. Junji Hirota and Peter Mombaerts*, Proceedings of the National Academy of Science, USA (2004), 101, 8751-8755
  • [10] Targeting a complex transcriptome: The construction of the mouse full-length cDNA encyclopedia. Piero Carninci, Kazunori Waki, Toshiyuki Shiraki, Hideaki Konno, Kazuhiro Shibata, Masayoshi Itoh, Katsunori Aizawa, Takahiro Arakawa, Yoshiyuki Ishii, Daisuke Sasaki, Hidemasa Bono, Shinji Kondo, Yuichi Sugahara, Rintaro Saito, Naoki Osato, Shiro Fukuda, Kenjiro Sato, Akira Watahiki, Tomoko Hirozane-Kishikawa, Mari Nakamura, Yuko Shibata, Ayako Yasunishi, Noriko Kikuchi, Atsushi Yoshiki, Moriaki Kusakabe, Stefano Gustincich, Kirk Beisel, William Pavan, Vassilis Aidinis, Akira Nakagawara, William A. Held, Hiroo Iwata, Tomohiro Kono, Hiromitsu Nakauchi, Paul Lyons, Christine Wells, David A. Hume, Michela Fagiolini, Takao K. Hensch, Michelle Brinkmeier, Sally Camper, Junji Hirota, Peter Mombaerts, Masami Muramatsu, Yasushi Okazaki, Jun Kawai and Yoshihide Hayashizaki*, Genome Research (2003), 13(6B), 1273-1289 (Recommended by Faculty of 1000)
  • [11] Combinatorial coexpression of neural and immune multigene families in mouse vomeronasal sensory neurons. Tomohiro Ishii, Junji Hirota and Peter Mombaerts*, Current Biology, (2003), 13, 394-400
  •  
  • <合成ゲノム・ゲノム工学研究>
  • [1] A Long-Range cis-Regulatory Element for Class I Odorant Receptor Genes. Tetsuo Iwata, Yoshihito Niimura, Chizuru Kobayashi, Daichi Shirakawa, Hikoyu Suzuki, Takayuki Enomoto, Kazushige Touhara, Yoshihiro Yoshihara and Junji Hirota*, Nature Communications (2017) 8 (1): 885, DOI: 10.1038/s41467-017-00870-4
  • [2] An inducible recA expression Bacillus subtilis genome vector for stable manipulation of large DNA fragments. Takafumi Ogawa, Tetsuo Iwata, Shinya Kaneko, Mitsuhiro Itaya and Junji Hirota*, BMC Genomics (2015) 16:209, DOI: 10.1186/s12864-015-1425-4
  • [3] Bacillus subtilis genome vector-based complete manipulation and reconstruction of genomic DNA for mouse transgenesis. Tetsuo Iwata, Shinya Kaneko, Yuh Shiwa, Takayuki Enomoto, Hirofumi Yoshikawa and Junji Hirota*, BMC Genomics (2013) 14:300, DOI:10.1186/1471-2164-14-300
  •  
  • 総説等
  • [1] 「匂い受容体遺伝子の新たな発言制御領域の発見」
  •   岩田哲郎、廣田順二、アロマリサーチ (2018) 19(2), 32-33
  • [2] 「ゲノム最大級の巨大遺伝子クラスターを制御するゲノム領域の発見」
  •   岩田哲郎、廣田順二、バイオサイエンスとインダストリー(2018) 76(3), 232-233
  • [3] 遺伝子からみた匂いの感覚
  •   廣田順二、アロマリサーチ (2015) 16 (2), 172-175
  • [4] 水棲から陸棲へ、嗅覚受容体の分子進化と遺伝子発現制御
  •   廣田 順二、日本味と匂学会誌 (2007) 14(2), 179-186 (総説)

教員紹介

廣田順二 教授 博士(工学)

1990年 東京工業大学 工学部 卒業
1995年 東京工業大学 大学院生命理工学研究科 博士課程修了(工学博士)
1995-2000年 科学技術振興事業団 ERATO御子柴細胞制御プロジェクト 研究員
2000-2005年 米国ロックフェラー大学 博士研究員
2000-2003年 Human Frontier Science Program, Long-Term Fellow
2005-2008年 大阪府立大学大学院 理学系研究科 准教授
2008年 東京工業大学 バイオ研究基盤支援総合センター 基盤部門 准教授
受賞関係
2000年 Human Frontier Science Program, Long-Term Fellow
2009年 日本味と匂学会 論文賞
2011年 日本味と匂学会 研究奨励賞
2016年 竹田国際貢献賞
所属学会
日本神経科学会、日本味と匂学会、ゲノム編集学会、Society for Neuroscience

教員からのメッセージ

廣田教授より

「科学者になるには、「あたま」がよくなくてはいけない」

「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」

寺田寅彦の「科学者とあたま」は、一見相反する言葉から始まります。この随筆のなかに「頭の悪い人は、頭のいい人が考えて、はじめからだめにきまっているような試みを、一生懸命につづけている。やっと、それがだめとわかるころには、しかしたいてい何かしらだめでない他のものの糸口を取り上げている。自然は書卓の前で手をつかねて空中に絵を描いている人からは逃げ出て、自然のまん中へ赤裸で飛び込んで来る人にのみその神秘の扉を開いて見せるからである。」と、あります。

研究室に入ると、学生実験とは違って、答えのわからない問題に取り組むことになり、日々の実験も失敗のほうが多いことがほとんどです。実験する前から結果を気にしても仕方がないので、まずは失敗を恐れずに、与えられた環境の中で出来ることを精一杯してみてください。自然はきっと何かしらの答えを返してくれると思います。そして世界で誰も知らないことを掴んでみてください。研究は楽しいものですよ。

お問い合わせ先

廣田順二 教授
すずかけ台キャンパス
B1・B2-C棟 201号室
E-mail : jhirota@bio.titech.ac.jp

※この内容は掲載日時点の情報です。最新の研究内容については研究室サイト別窓をご覧ください。

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